ポンコツ夫婦のBIKE日記 with Insta360 Vol.4(後編)

「いつかは二人でツーリングコースを走る」という目標を掲げつつ、漢のロマンを語るDr.takodemousのBIKE日記です。今回Insta360 Ace Proが捉えたのは、筆者の青春の思い出が詰まった国営木曽三川公園138タワーパーク周辺。動画と合わせて、この地域の謎めいた歴史をお届けします。

一宮ヘリクラブ飛行場付近からスタート

vol.3では国営木曽三川公園 138タワーパーク周辺をツーリングし、青春時代の思い出などを紹介しました。実はVol.4(前編・後編)はVol.3と連動しています。正直に言うと動画を分割したに過ぎないのですが、R60世代が無理なく一日かけて過ごせる、ツーリング+αを提案できればと思い、敢えて別のナンバリングをしています。

動画の見どころは、蘇南公園 多目的グラウンド付近の堤防です。実はこのコースは、ロケ班のような下見をしていた時に筆者が偶然見つけた珍しい区間なのです。

【見逃し厳禁】全国でも稀な「二重堤防道路」

前回までのブログにも記載していますが、木曽川の堤防の歴史と相まって、堤防道路が木曽川左岸に対して二つ並行して存在する区間があるのです。筆者自身も調べ始めて気がつきました。このような構造は全国でも稀な存在です。皆さんも是非ツーリングして、この稀なコースを堪能してはいかがでしょうか。

木曽川左岸から川島堤防道路へ

本ブログVol.4(後編)と前回Vol.4(前編)を合わせると、木曽川左岸と川島堤防道路のツーリングが完成します。近郊に住む地元民でもあまり知られていない事実があります。それは、川島町が木曽川の中州に位置する地域であり、かつては全国で唯一、全域が川に囲まれた単独の町であった歴史があるということです。

中州でありながら広大な地形をしており、相当数の住居があることから、町(普通地方公共団体)として成立しました。現在は各務原市へと編入しています。

各務原市川島町の地理上の歴史

川島町は、以下のような非常に特異な地理的・歴史的背景を持っています。

  • 中州・河川島の集落: 木曽川の広大な流れの中にできた「川の島(河川島)」に集落が形成されました。
  • 治水との闘い(輪中): 度重なる木曽川の洪水に見舞われ、水害から集落を守るために、輪中(集落の周囲を堤防で囲む治水形態)の文化や技術が発達しました。
  • 渡船の歴史: かつては橋がなく、対岸との往来は渡し船に頼っていました(例:川島の渡し)。

各務原市川島町の魅力

  • 河川環境楽園(木曽川水園): 国営木曽三川公園の一部。広大な敷地内で水辺の生き物や植物を観察しながら、四季折々の美しい景色を楽しめます。
  • 水と共にある独特な文化の歴史: 輪中の文化や渡し船の歴史が深く根付いており、人々が水とどのように共生し、生活を守ってきたのかという、濃尾平野の治水の歴史を肌で感じることができます。
  • 複合レジャー施設としての利便性: 敷地が隣接する「オアシスパーク」は、高速道路(東海北陸自動車道)からも一般道からもアクセスできる複合レジャー施設です。
  • 国宝 犬山城と城下町:木曽川を遡った対岸、愛知県犬山市に位置します。現存する天守が国宝に指定されている犬山城は、木曽川のほとりの小高い山に建ち、その景観は圧巻です。城下町には、昔ながらの街並みが保存・整備されており、グルメや散策を楽しめます。川島町からは、木曽川沿いの道路をツーリングするルートとしても人気です。
  • 国営木曽三川公園 138タワーパーク:木曽川を下流(一宮市)方面に進んだところに位置します。公園のシンボルである「ツインアーチ138」は、遠くからでも目立つランドマークです。タワーの展望階からは、木曽三川の流れや濃尾平野の雄大な景色を一望でき、ツーリングの休憩や目的地として最適です。
  • 伊木山と伊木山城址:木曽川沿いにある山で、自然景観と歴史が融合したスポットです。頂上付近にはかつてのお城の跡があり、比較的低山ながらも、山頂からの眺めは木曽川の流れと周辺の平野を見下ろすことができ、清々しい気分になれます。ツーリング途中に少し汗を流すための軽いハイキングを楽しむのにも良いでしょう。
  • 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館(そらはく):各務原市内にあり、日本の航空宇宙産業の歴史を学べる大規模な博物館です。実物の航空機やロケット関連の展示が豊富で、乗り物好きのツーリング客にとっては、知的好奇心を刺激される魅力的な立ち寄り先となります。

筆者のツーリングは、相変わらず一人のショートコースが中心です。Redkabagonさんの公道デビューは、どうやら「来年こそは!」というセリフが恒例行事になりそうな予感がしています。当ブログの名物企画として、公道デビューまでの道のり(の長さ)を、これからも気長に見届けてください。

次回は馬飼ビーチ周辺のバイク日記を投稿予定としています。お楽しみに。

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ポンコツ夫婦のBIKE日記 with Insta360 Vol.4(前編)

「いつかは二人でツーリングコースを走る」という目標を掲げつつ、漢のロマンを語るDr.takodemousのBIKE日記です。今回Insta360 Ace Proが捉えたのは、筆者の青春の思い出が詰まった国営木曽三川公園138タワーパーク周辺。動画と合わせて、この地域の謎めいた歴史をお届けします。(なお、機材の詳細は今後「The Gear」カテゴリーでご紹介します。)

光明寺公園 球技場からスタート

vol.3では国営木曽三川公園 138タワーパーク周辺をツーリングし,青春時代の思い出などを紹介しました。実はVol.4(前編・後編)はVol.3と連動しています。正直に言うと動画を分割したに過ぎないのですが、R60世代が無理なく一日かけて過ごせる、ツーリング+αを提案できればと思い、敢えて別のナンバリングをしています。

動画の見どころは、ズバリ光明寺公園の駐車場をでた直後の堤防です。このコースは、筆者の青春時代にはまだ相互通行ができていました。ご覧になれば一目瞭然に、このコースのどこで自動車がすれ違えるのだろうと感じるくらい、道幅が狭くなっていて、現在では一方通行となっています。そして、旧極楽寺側からの一方通行と相対する事となります。動画では右折迂回路を経由していますが、左折をすると国営木曽三川公園 138タワーパークの駐車場へと向かいます。桜の季節には本コースも咲き乱れますので、読者の皆様もツーリングの一考にしてみてはいかがですか。

木曽川左岸から川島堤防道路へ

本ブログVol.4(前編)と次回Vol.4(後編)を合わせると、木曽川左岸と川島堤防道路のツーリングが完成します。近郊に住んでいる地元民でもあまり知られていない事実があります。それは、川島町は木曽川の中洲に位置する地域であり、木曽川の作る大小二つの島の中洲が一体となっており、その地形的特徴から、かつては単独の市町村で全域が川に囲まれた、全国で唯一の町であった歴史があります。

少し砕いて言うと、中州でありながら広大な地形をしており、相当数の住居がある事から、町(普通地方公共団体)の人口や都市的要件を満たしており、川島町として成立したという事になります。現在は各務原市へと編入しています。詳細はvol.4(後半)で紹介しますのでお待ちください。

自然を満喫しながらのサイクリング

木曽三川公園のサイクリングコースは、広大な敷地と河川沿いの景観を活かして整備されており、特に近年になってコースが延伸され、より広範囲を楽しめるようになりました。

歴史的経緯

  • 2016年(平成28年)2月13日に、138タワーパーク内のサイクリングロードが新たに開通しました。
  • この開通により、犬山市の木曽川犬山緑地から一宮市里小牧にある木曽川緑地公園まで、約18kmのコースがつながりました。
  • このコースは自転車用と歩行者用が色分けされており、安全にサイクリングやウォーキングを楽しめるように整備されています。

138タワーパーク 周辺のおすすめスポット

138タワーパークからのサイクリングで、気軽に立ち寄れるスポットをご紹介します。

1. 木曽川資料館(木曽川水系流域の歴史と治水)

木曽川をテーマにした資料館で、木曽三川分流工事(デ・レーケの治水事業)や、輪中の歴史、水との闘いに関する貴重な資料が展示されています。サイクリング休憩がてら、この地域の地理や歴史の深さを知るのに最適です。

2. 一宮市立尾西歴史民俗資料館(地域の文化と歴史)

旧尾西市(現一宮市の一部)の歴史や、かつて繊維産業で栄えた地域の文化を学べる施設です。機織り(はたおり)に関する展示などが充実しており、木曽川沿いの産業史に触れることができます。

3. 浅井山公園(休憩と自然)

一宮市北部にある自然豊かな公園です。大きな池があり、緑が多く、サイクリングの途中でベンチに座って休憩したり、静かな水辺の景色を楽しんだりするのに適しています。

4. 川島大橋・付近の河川敷(景観と開放感)

木曽川に架かる川島大橋の周辺は、特に河川敷の開放感があり、雄大な木曽川の流れを間近に感じることができます。休憩するのに適したスペースもあり、ゆったりとした景色を楽しむのに最適です。

木曽三川公園のサイクリングコースは、自然や歴史、そしてグルメを楽しみながら、自分のペースでゆっくりと散策するのにぴったりの場所です。

橋の歴史

vol.3では紹介していなかった橋の歴史シリーズを、vol4(前半)と併せて紹介いたします。また、次回vol.4(後半)についても本ブログと被っている動画を掲載することになりますので、併記としてご覧ください。

尾濃大橋の歴史(びのうおおはし)

  • 開通年: 1957年(昭和32年)
  • 建設の経緯: 尾濃大橋が架かる以前は、木曽川の渡船が利用されていました。しかし、交通量の増加と度重なる洪水のたびに渡し船が流されたり、運航が停止したりする事態が続いていました。地域の安全と交通の利便性を確保するため、橋の建設が強く求められるようになりました。
  • 特徴: 尾濃大橋の建設は、地域の発展に大きく貢献しました。特に、当時の自動車交通の増加に対応するため、重要な幹線道路として機能しました。

木曽川橋 (きそがわばし)

  • 開通: 1937年(昭和12年)に開通した道路橋です。
  • 特徴: 名古屋と岐阜を結ぶ主要な街道の要所に位置しており、日本の土木技術の発展を示す貴重な橋として知られています。
  • 現在の役割: 現在も交通量の多い幹線道路の一部として利用されています。

新木曽川橋(しんきそがわばし)

  • 1937年(昭和12年)10月: 最初に木曽川に架けられた橋は、現在の新木曽川橋よりも上流にある「木曽川橋」として開通しました。これは、現在の国道22号の旧道にあたる部分に位置していました。
  • 1969年(昭和44年): 高度経済成長期の交通量増大に対応するため、当時の木曽川橋の下流に、新たな橋として「新木曽川橋」が開通しました。この橋は、当初は名古屋方面から岐阜方面への下り線として使用されました。
  • 1975年(昭和50年): 上り線(岐阜方面から名古屋方面)の橋も完成し、上下線が分離した4車線道路として供用を開始しました。これにより、交通渋滞が大幅に緩和されました。

一宮川島線渡橋 (いちのみやかわしませんわたりばし)

  • 開通: 1964年(昭和39年)11月に開通しました。
  • 特徴: 以前は「渡船(わたしぶね)」がありましたが、度重なる洪水による欠航や、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で流失したことをきっかけに、橋の建設が進められました。
  • 歴史的背景: 橋の建設前には、木造の仮橋が何度か架けられましたが、その都度洪水で流されるなど、この地域が水害に悩まされてきた歴史を物語っています。

これらの橋は、それぞれの時代において、人々の生活や経済、そして地域の安全を守るために建設され、現在に至っています。

筆者のツーリングは、相変わらず一人のショートコースが中心です。Redkabagonさんの公道デビューは、どうやら「来年こそは!」というセリフが恒例行事になりそうな予感がしています。当ブログの名物企画として、公道デビューまでの道のり(の長さ)を、これからも気長に見届けてください。

次回は川島堤防道路から思いやり橋までのバイク日記を投稿予定としています。お楽しみに。

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ポンコツ夫婦のBIKE日記with Insta 360 vol.3

昨年から「ポンコツ夫婦の旅日記」など、いくつかのカテゴリー変更を実施しています。今回は、MonkeyとZoomerのカテゴリーを統合し、「ポンコツ夫婦のBIKE日記」へと変更しました。

このカテゴリーは「The Gear」ともクロスオーバーさせ、今後は自動車(JimnyとEvery Wagon)関連の投稿にも広げていく予定です。まだ計画段階ですが、楽しみにしていてください。

「BIKE日記」のメッセージは、Dr.takodemousが①漢のロマンを語る、②熱血指導をする、③いつかは二人でツーリングコースを走る、の3つです。特に②は期待できると思います。

今回のテーマは「③いつかは二人でツーリングコースを走る」です。Insta360 Ace Proを搭載し、近所の堤防をツーリングした様子を掲載していきます。

岐阜県羽島市某所に住む筆者にとって、木曽川や長良川、揖斐川の堤防は、身近でツーリングに最適な環境です。

動画には、実際に乗車している感覚を伝えるため、あえてBGMを挿入していません。ただ、自動車学校のシミュレーターのように、自分が正面を向いているのに映像が傾くことがあります。苦手な方は、フル画面を避けたり、画質を下げたりしてご覧ください。

筆者は「R60仲良し夫婦コーディネーター」になることを目指しており、このブログはそのモチベーションで続けています。

これまではiPhoneで動画や画像を撮影していましたが、WordPressへのアップロード時に容量制限の問題がありました。

そこで、よりレベルの高い撮影と編集が可能な「Insta360 Ace Pro」を導入しました。このアイテムについては、別途「The Gear」カテゴリーで詳しくご紹介しますので、お楽しみに。

尾濃大橋からスタート

vol.3では筆者の青春時代を過ごした、現在の国営木曽三川公園 138タワーパーク周辺をツーリングします。高校時代は部活動でのランニングコース、大学時代はジムニーを駆ってのオフロードや、軟式野球のグランドとして過ごした思い出の場所です。

動画の見どころは、名鉄本線を超えた辺りから見えてくる、堤防越しの木曽川の風景です。現在、サイクリングロードを施工している最中です。総延長は、60kmに達するサイクリングコースになると広報されており、他の堤防では観る事とのできないコラボレーションを期待しながら、ツーリングができます。

木曽川左岸を上流へ

前回のポンコツ夫婦のBIKE日記でもご紹介したしまたが、新濃尾大橋と同様に尾濃大橋の知名度はまだまだ低いといえます。やはり、大垣側への道路が長良川で止まっているためだと推測します。

新濃尾大橋と周辺道路との違いは、羽島側と安八側での陸地部分の道路はほぼルートが整備されており、あとは新長良橋(仮名)の着工と羽島側の若干の土地買収が残されているだけという状況です。

日頃から一宮と大垣の間で渋滞に悩まされている住民としては、早期解消を願うばかりですが、若干尾濃大橋から大垣に抜けるルートの着工が早く、完成するのではと期待を寄せています。

国営木曽三川公園 138タワーパーク

現在の国営木曽三川公園 138タワーパークは、冒頭にも記載しておりますが、筆者の青春時代である大学生時代まで、ブログでは書けないような内容も含んだ思い出の地です。旧の名称は極楽寺公園という呼ばれ方をしていました。

そんな思い出の場所も、時代と共に姿を変え、現在は新しい魅力にあふれています。

国営公園としての誕生

138タワーパークは、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川が有する広大な河川敷を活用し、レクリエーション需要の増大に応えるために設置された「国営木曽三川公園」の一部です。特に、上流地区の拠点として位置づけられています。

開園と名称の由来

  • 開園: 1995年(平成7年)4月29日に開園しました。
  • 名称: 公園のシンボルである「ツインアーチ138」にちなんで名付けられました。
  • タワーの高さ: タワーの高さが138mであるのは、所在地である一宮市(いち=1、のみ=3、=8)の語呂合わせに由来しています。

特徴と役割

138タワーパークは、開園当時、広大な芝生広場や、四季折々の花を楽しめる庭園、そして展望タワーを備えた施設として、地域住民や観光客に親しまれてきました。タワーからは、木曽川の雄大な流れや濃尾平野の景色を一望できます。

このように、138タワーパークは、国営木曽三川公園のプロジェクトの一環として、地域のランドマークであり、レクリエーションと景観の拠点として整備されました。

地理上の歴史

vol.3では地理上の歴史にスポットを当てて紹介します。動画をご覧になると、堤防の内側(堤防より河川側)に住居が多数見受けられると思います。この現象は、日本の一級河川の最上位を誇る、長良川や揖斐川ですら見受けることができません。何故このような堤防の内側に住居が存在するのかと言うと、地理的条件と歴史背景が関係します。vol.4ではいつも通り橋の歴史をお伝えしますので、お待ちください。

愛知県一宮市木曽川町や川島町など、木曽川沿いの堤防よりも川側に住宅がある地域の歴史的背景は、この地域の特有な地理的条件と、度重なる洪水との闘いに深く関わっています。

「堤外地」という場所

堤防よりも川側の地域は、一般的に「堤外地(ていがいち)」と呼ばれます。ここは河川が氾濫した際に水が流れ込むことが想定されている場所です。にもかかわらず、なぜそこに人々が住み、家が建てられてきたのか、その理由にはいくつかの歴史的な背景があります。

1. 「御囲い堤」と「輪中」の歴史

  • 御囲い堤(おかいづつみ): 江戸時代、徳川家康が尾張(現在の愛知県)を治水するために築かせた強固な堤防です。この堤防は、尾張側を洪水から守る一方で、対岸の美濃(現在の岐阜県)側よりも堤防の高さを低くするよう定められていました。
  • 輪中(わじゅう): このため、美濃側の人々は自分たちの集落を守るため、集落の周りを堤防で囲む「輪中」という独自の治水システムを発達させました。

一宮市木曽川町や川島町は、この治水システムの境界に位置していました。尾張側にあるこの地域は、当初は御囲い堤によって守られていましたが、時代が下るにつれて、堤防の外側、つまり川側にも住宅や田畑が広がるようになりました。

2. 「二重堤防」の建設

堤防よりも川側に住宅ができた後も、この地域はたびたび水害に見舞われました。特に、昭和初期に発生した大洪水は大きな被害をもたらしました。

この水害を教訓として、一宮市木曽川町では、在来の堤防(御囲い堤)の内側に加えて、「二重堤防」が建設されました。これにより、堤防よりも川側の住宅地を囲む形で、もう一つの堤防が築かれ、水害から地域を守ろうとする取り組みが進められました。

3. 歴史的経緯と生活圏の拡大

このような地域に住宅ができたのは、以下のような経緯が考えられます。

  • 生活の場としての利用: 昔から、河川敷は生活に必要な資材(砂利など)の採取や、畑として利用されてきました。洪水が起きても、水が引けばまた生活に戻れるという考え方がありました。
  • 土地利用の拡大: 人口が増加するにつれて、限られた土地を有効活用するために、比較的土地の値段が安価な堤外地にも住宅が建てられるようになりました。
  • 近代的な治水工事: 明治以降に行われた大規模な治水工事(明治改修など)により、洪水の頻度が減り、堤外地でも生活が可能になるという認識が広まったことも一因です。

これらの歴史的背景から、一宮市木曽川町や川島町などの堤防よりも川側に住宅がある地域は、先人たちが度重なる洪水と闘い、独自の治水システムを築きながら生活の場を確保してきた、その努力の証と言えるでしょう。

筆者のツーリングは、相変わらず一人のショートコースが中心です。Redkabagonさんが公道デビューできるその日まで、この身近なコースを走り込み、技術と経験を磨いていきます。この日記を通して、二人の成長をぜひ見届けてください。

次回は国営木曽三川公園 138タワーパークから川島までのバイク日記を投稿予定としています。お楽しみに。

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ポンコツ夫婦のBIKE日記with Insta 360 vol 2

昨年から「ポンコツ夫婦の旅日記」など、いくつかのカテゴリー変更を実施しています。今回は、MonkeyとZoomerのカテゴリーを統合し、「ポンコツ夫婦のBIKE日記」へと変更しました。

このカテゴリーは「The Gear」ともクロスオーバーさせ、今後は自動車(JimnyとEvery Wagon)関連の投稿にも広げていく予定です。まだ計画段階ですが、楽しみにしていてください。

「BIKE日記」のメッセージは、Dr.takodemousが①漢のロマンを語る、②熱血指導をする、③いつかは二人でツーリングコースを走る、の3つです。特に②は期待できると思います。

今回のテーマは「③いつかは二人でツーリングコースを走る」です。Insta360 Ace Proを搭載し、近所の堤防をツーリングした様子を掲載していきます。

岐阜県羽島市某所に住む筆者にとって、木曽川や長良川、揖斐川の堤防は、身近でツーリングに最適な環境です。

動画には、実際に乗車している感覚を伝えるため、あえてBGMを挿入していません。ただ、自動車学校のシミュレーターのように、自分が正面を向いているのに映像が傾くことがあります。苦手な方は、フル画面を避けたり、画質を下げたりしてご覧ください。

筆者は「R60仲良し夫婦コーディネーター」になることを目指しており、このブログはそのモチベーションで続けています。

これまではiPhoneで動画や画像を撮影していましたが、WordPressへのアップロード時に容量制限の問題がありました。

そこで、よりレベルの高い撮影と編集が可能な「Insta360 Ace Pro」を導入しました。このアイテムについては、別途「The Gear」カテゴリーで詳しくご紹介しますので、お楽しみに。

新濃尾大橋からスタート

vol1では日頃から通っている、木曽・長良背割堤からスタートしています。今回は新設の新濃尾大橋をスタートに選んでいます。「③いつかは二人でツーリングコースを走る」を実践するコースとしても最適な距離感で、自宅から往復45分ほどで完結できます。

今回の見どころは、ズバリ完成したばかりの新濃尾大橋です。木曽川に掛かる橋は、一宮あたりから下流に向けて、随分長い距離の架橋となっています。次回以降にも登場するのですが、川島という中州が地理的条件にあるために、川幅が長くなっているといわれています。

木曽川左岸を上流へ

新濃尾大橋の交通量は知名度が不足しているためなのか、まだまだ濃尾大橋の渋滞と比較すると、かなりの空き状態となっています。動画を比較していただければ、一目瞭然といった感じです。

国道155線に繋がる新濃尾大橋であるにもかかわらず、この交通量の少なさは、大垣まで直結するルートが羽島市内で.未完成であるための現象と言えます。この事を把握して、羽島市内のショートコースを熟知している場合は、かなりの時短ができます。

ツーリングではないものの、車で羽島から稲沢へと新濃尾大橋を利用したところ、20分ほど時間が短縮されました。皆様もツーリングだけにとどまらず、時短を是非体験してみてください。

尾西グリーンプラザ

筆者は、幼い頃に親に連れられて尾西グリーンプラザ内のプールに泳ぎに行った思い出があります。最も深い場所は150cmほどあり、小学生の身長では足が届きませんでした。学校のプールと同じ感覚で飛び込んだら、深さに驚いて溺れそうになった、苦くも懐かしい思い出です。残念ながら、そのプールは現在閉鎖されています。

そんな思い出の場所も、時代と共に姿を変え、現在は新しい魅力にあふれています。

  • 歴史:
    • 1974年(昭和49年)に、当時の尾西市(現在は一宮市に合併)に、勤労青少年福祉センターとして開館しました。
    • 木曽川沿いの広大な敷地を活かし、地域のレクリエーションや防災拠点としての役割も担ってきました。
  • 現在のおすすめ:
    • パターゴルフ場: 広々とした芝生で、家族や友人と気軽に楽しむことができます。
    • ウッドデザインパークいちのみや 紡: 尾西グリーンプラザの敷地内に新設されたグランピング施設。BBQや宿泊も楽しめ、おしゃれなカフェも併設されています。
    • サイクリング: 木曽川沿いのサイクリングロードに接続しており、気持ちの良い川風を感じながら自転車で散策するのに最適な場所です。
    • 広大な芝生広場: ピクニックや軽スポーツに利用できる広場があり、開放的な空間でゆったりと過ごせます。

橋の歴史

今回のツーリングで走行した「新濃尾大橋」と「濃尾大橋」にも、それぞれ歴史があります。

新濃尾大橋

  • 建設の背景: 長年にわたる濃尾大橋の慢性的な渋滞解消を目的として計画されました。2012年(平成24年)に着工し、比較的最近の2025年5月24日に開通した新しい橋です。
  • 歴史的な意味: 1586年(天正14年)の木曽川の洪水によって分断され、東側が愛知県、西側が岐阜県に属するようになった旧「加賀野井村」を再び繋ぐ橋としても注目されています。

濃尾大橋

  • 建設の背景: 戦後の交通量増加に対応するため、1952年(昭和27年)に着工されました。
  • 開通: 1956年(昭和31年)に開通。当初は有料でしたが、1969年(昭和44年)に無料開放されました。
  • 特徴: 全長777.7mの長い橋で、長年にわたり愛知と岐阜を結ぶ主要な交通路として地域の暮らしを支えてきました。

多くの橋が、かつての渡し船の跡地に建設されていることが多いようです。過去の歴史に思いを馳せながらのツーリングもまた一興です。

筆者のツーリングは、相変わらず一人のショートコースが中心です。Redkabagonさんが公道デビューできるその日まで、この身近なコースを走り込み、技術と経験を磨いていきます。この日記を通して、二人の成長をぜひ見届けてください。

次回は尾濃大橋から国営木曽三川公園 138タワーパークのバイク日記を投稿予定としています。お楽しみに。

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ポンコツ夫婦のBIKE日記with Insta 360 vol 1

昨年から「ポンコツ夫婦の旅日記」など、いくつかのカテゴリー変更を実施しています。今回は、MonkeyとZoomerのカテゴリーを統合し、「ポンコツ夫婦のBIKE日記」へと変更しました。

このカテゴリーは「The Gear」ともクロスオーバーさせ、今後は自動車(JimnyとEvery Wagon)関連の投稿にも広げていく予定です。まだ計画段階ですが、楽しみにしていてください。

「BIKE日記」のメッセージは、Dr.takodemousが①漢のロマンを語る、②熱血指導をする、③いつかは二人でツーリングコースを走る、の3つです。特に②は期待できると思います。

今回のテーマは「③いつかは二人でツーリングコースを走る」です。Insta360 Ace Proを搭載し、近所の堤防をツーリングした様子を掲載していきます。

岐阜県羽島市某所に住む筆者にとって、木曽川や長良川、揖斐川の堤防は、身近でツーリングに最適な環境です。

動画には、実際に乗車している感覚を伝えるため、あえてBGMを挿入していません。ただ、自動車学校のシミュレーターのように、自分が正面を向いているのに映像が傾くことがあります。苦手な方は、フル画面を避けたり、画質を下げたりしてご覧ください。

筆者は「R60仲良し夫婦コーディネーター」になることを目指しており、このブログはそのモチベーションで続けています。

これまではiPhoneで動画や画像を撮影していましたが、WordPressへのアップロード時に容量制限の問題がありました。

そこで、よりレベルの高い撮影と編集が可能な「Insta360 Ace Pro」を導入しました。このアイテムについては、別途「The Gear」カテゴリーで詳しくご紹介しますので、お楽しみに。

木曽・長良背割堤からスタート

ツーリングのスタート地点は、いつもお花見でお世話になっている「木曽・長良背割堤」です。ここは木曽川と長良川がY字に交差する特殊な地理条件を持つ場所で、その先は一般車両通行止めの道になっています。

今回の見どころは、木曽川の右岸と長良川の左岸が交差するU字の堤防を走る映像です。スタート地点のキャッチアップ動画を撮影するため、同じテイクを何度も繰り返したので、少し怪しい行動だったかもしれませんが、ご容赦ください。

長良川左岸を上流へ

木曽川右岸を走った後、急角度で長良川の左岸の堤防を走るコースです。右岸に比べて交通量が少なく、R60世代のツーリングデビューに非常に適しています。

ただし、羽島市は伊吹おろしによる突風が吹く地域です。最近では春以降も強風が多発しているため、風の予報を確認してツーリングすることをお勧めします。

木曽・長良背割堤の歴史

この堤防は、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の治水事業と深く結びついています。度重なる洪水に悩まされた地域を救うため、明治政府がオランダ人技術者ヨハネス・デ・レーケの指導のもと、大規模な分流工事を実施。背割堤は1898年(明治31年)頃に完成しました。

「輪中」という地名が今も残るように、治水にまつわる歴史は深いものです。立ち寄り場所が少ない今回のコースでも、こうした歴史を想像しながら走るのも楽しみ方の一つです。

橋の歴史

今回のツーリングで走行した「南濃大橋」と「大藪大橋」にも、それぞれ歴史があります。

  • 南濃大橋: かつて「野寺の渡し」という渡し船があり、その後、木造の「野寺橋」を経て、1979年(昭和54年)に現在の南濃大橋に架け替えられました。
  • 大藪大橋: こちらも「大藪の渡し」に代わる形で、1988年(昭和63年)に開通しました。

多くの橋が、かつての渡し船の跡地に建設されていることが多いようです。過去の歴史に思いを馳せながらのツーリングもまた一興です。

筆者はMonkey 125で1年半かけて練習を重ねてきました。一人でのツーリングも楽しいですが、やはり夫婦二人で行動していると少し寂しさを感じます。

現在、ツーリングは筆者の休日を利用したショートコースが中心です。Redkabagonさんが公道デビューできるようになるまで、気長にお見届けください。

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